オキシトシン分泌なんかどうでもいいじゃあねぇか?!って話なんだよねぇ~っ?!

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そうです。他者との繋がりにおいて、自分のストレスを加味すると、切るべき関係と切らずに繋げるべき関係とが見えてくる。そんななかで絶対に切れない関係とは?!

「宮川賢のまつぼっくり王国」2022年6月13日放送分のアーカイブです。

「オキシトシン分泌なんかどうでもいいじゃあねぇか?!って話なんだよねぇ~っ?!」への2件のフィードバック

  1. 自分も8年間母の介護をしていたので悩ましい気持ちはよく分かります。
    母は1年半前に他界しました。
    自分は長男で姉はいましたが、淡路島に住んでいて自分は神奈川県で母と2人暮らしだったので1人で介護をしていました。
    フリーで自宅で仕事をしていたので介護サービスを利用しながらなら1人でも何とかなるだろうと思ってました。
    ただ年を経るにつけ介護は大変になりはじめました。
    母用に介護食の準備やおしめの交換、痰の吸引、夜中に足が痛いと起こされてマッサージしたりと落ち着いて仕事することや自分の時間を取ることが出来なくなってきました。
    仕事も以前のようにこなせなくなり仕事先の信頼も失っていき仕事の依頼も激減しました。
    もう限界と感じて介護生活7年目にして療養型病院に入院してもらうことにしました。
    ただ1度失った信頼を回復することも難しく以前のように仕事の依頼を受けられなくなってしまい現在極貧の生活を強いられています。
    あの時の自分の選択を後悔はしていませんが、我慢せずに早く老人ホームに預けていればこんな事にならなかったのでは、と思うこともあります。
    姉にはずいぶん前から、「早く老人ホームに預けろ。それがあんたのためだ!」と言われていました。
    しかしそう言われるとむきになって、「そんな薄情なことができない!」と言い張っていました。
    ただ今思えば姉の言い分の方が正しかったのではないかと・・・・
    それぞれの家庭の事情で異なると思いますが、老人ホームに入ってもらうことをそんなに否定することも無いと思います。

  2. 私の父は、明治生まれで、母ば大正でした。昭和55年、大学三年生のときに明、弱っていた八百屋をしていた父が、母が亡くしたショックで、寝たきりになりました。私は休学して、父の介護をしました。
    理由を付けて検査入院や、なんやかやで、短期入退院しました。で、どうにか、特老に入れたので、大学は復学しました。。
    でも、バイト生活でファミレスてま必要とされているのが嬉しくて、バイト優先な学業になりました。

    留年は、8年間在籍できるのですが、一年半休学して、なぜか、10年間学費は払って、中退になりました。いま考えると、卒業実験し続けていたらとか、中学校理科の教師になり、母に喜んでもらいたかったと思います。ラジオのように、如雨露のように、空気を頂いています。

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