樋口了一「手紙 ~親愛なる子供たちへ」 という素敵な作品があって、 それの朗読をさせていただきました。 樋口了一さんというのは素敵なシンガーソングライターです。 シェアしてね:クリックして Twitter で共有 (新しいウィンドウで開きます)Facebook で共有するにはクリックしてください (新しいウィンドウで開きます)クリックして Tumblr で共有 (新しいウィンドウで開きます)クリックして Pinterest で共有 (新しいウィンドウで開きます)クリックして LinkedIn で共有 (新しいウィンドウで開きます)
実の母を12/3に亡くしたばかりのものです。 12/11の放送を仕事帰りの車の中で聞いて、思わず「うちの母からの手紙か」とびっくりしました。 号泣して、信号も標識もぼやけてしまって運転できませんでした。 母は厳しく、優しく、天然でかわいいひとでした。 晩年は施設や病院をあちこち行き来しましたが、どこにいっても「かわいいおばあちゃん」と言われ、スタッフの方によくしていただきました。 認知症が進み、娘である私のことも、溺愛してくれた孫のこともわからなくなってしまいました。 それでも会いに行くとかわいらしく笑って迎えてくれました。 最後はほとんど話すこともなかった母は、この歌詞のように考えて、願っていたのかもしれません。 では私がそれに応えることができていたのか、というと、まったく自信がありません。 これは母から私への宿題かもしれません。 いつか私が死んで、母のところに行ったら、聞いてみようと思います。 重い、尊い詩をご紹介いただき、ありがとうございました。 返信
実の母を12/3に亡くしたばかりのものです。
12/11の放送を仕事帰りの車の中で聞いて、思わず「うちの母からの手紙か」とびっくりしました。
号泣して、信号も標識もぼやけてしまって運転できませんでした。
母は厳しく、優しく、天然でかわいいひとでした。
晩年は施設や病院をあちこち行き来しましたが、どこにいっても「かわいいおばあちゃん」と言われ、スタッフの方によくしていただきました。
認知症が進み、娘である私のことも、溺愛してくれた孫のこともわからなくなってしまいました。
それでも会いに行くとかわいらしく笑って迎えてくれました。
最後はほとんど話すこともなかった母は、この歌詞のように考えて、願っていたのかもしれません。
では私がそれに応えることができていたのか、というと、まったく自信がありません。
これは母から私への宿題かもしれません。
いつか私が死んで、母のところに行ったら、聞いてみようと思います。
重い、尊い詩をご紹介いただき、ありがとうございました。