番組制作を経験してから編成に行くべきなのか?

ラジオ番組を制作者として担当した人こそが編成に行くべきなのかという問題について考察しています。まぁ、工場でいえば、作る部署で作業をして、パーツを作る人の気持ちや想いを理解して、それからその統括部に行って、管理者になり、企画だして、制作する新製品を考え立案して得意先と交渉して勝ち取ってプランニングに入る。そしてその辺りのことを経て会社の中枢に入り込んでいく、というのがまぁ出世ルートとするならば、ラジオ番組においても、制作部を経てから編成に行った方がいいんじゃねぇか?という考察です。これはとても厄介な問題を孕みます。そもそも、ラジオ局にそんな余裕はありません。人的リソースも不足気味。そんな現況でこんな与太話はあくまで机上の空論であって、外部のフリーランスだから身勝手に言える事であることは百も承知。それでも思うのはそういうこと。そもそも、番組制作においてもまずは、深夜放送から作り始めるべきだ。そう。オールナイトニッポンのADを経て、ディレクターになって、そこで全てのノウハウを理解する。これはどういうことか? 深夜放送というのは縛りがない。つまり「自由に作れる」反面「お金もないし、人も呼べない、スタッフも少ない」。これはまぁディレクターの創造性を培うには最適の局面だ。そして、深夜放送というのは、パーソナリティも初めての登板が多いし、そうあるべきだ。深夜放送で人気を経て明るい時間に登用されていくのが(ラジオパーソナリティ双六)だとするならば、そうだ。だが、そんな双六ももはやなかなかありえず、有名人をツモってナンボの世界になってる所も多い。てか地方局は自社制作出来ないしね。閑話休題。オールナイトニッポンの制作は、「パーソナリティが初めての人が多い」。そこで任されるディレクターやADは、無人島に放り出された如く、何から手を付けていいのかまるで解らない。その代わり、自由がある。何をする事も許されている。これは「腕」を見せるチャンスだ。深夜だからゲスト呼べない。頼りになるのは、出演者の喋りと、2Wayコンテンツ(今で言う所のメール募集コーナー)、そして、CDとしてかける楽曲のみだ。ここまでそぎ落とされた条件の中で「オモシロイ」モノを作るのだから、それは「ディレクターのセンス」が出る。当然、「文化作品を紹介する」ような情けないような事はしない。そんなものは深夜放送には求められない。つまり、放っておいても沸いて出てくる「ニュース」や「ワイドショーネタ」ひいては「出版される本や漫画、公開される映画や、発売されるゲームの紹介」なんてモノに頼るようなだらしない事に身をやつしてはいられない。どれだけオモシロイ事を喋るか。どれだけオモシロイメールを呼び込む努力(コーナーの雛形と佇まい)を作り出すか。ここに全てがかかっている。そこで頑張って「モノ」になれば、そこからディレクターとして一人前と判断されて、明るい時間帯での創作現場へと移行する。明るい時間はある意味楽だ。ゲストは呼びやすい。スポンサー要請の案件も多いので時間は埋まる。「今日のメッセージテーマは」なんて言ってりゃなんとかなる。だが、最初からここへ配属されるスタッフは可哀想だ。ゼロから作り出す経験をしていないので、走り始めている番組を中継ぎすることは出来ても、それが終わると新しい番組を生み出せない。つまり、免許を持っているとはいえ高速道路に乗ったことがない人が、既に時速100キロ出してる車の「ハンドル持ってっ」と渡されるようなもので、「とりあえず走れる」けれど、一度止まったら、何も出来ない。このように、ディレクターという立場でさえも、踏むべき手順があるのに、それを端折って立派な番組が生まれ続けるワケもなく、そうなるとタレントの才能に頼る以外にない。先日も弊社番組で作ったオモシロ雛形を平気でパクろうとしてる他番組スタッフの話を聞いてげんなりした所。恥ずかしくないらしい。そう、仕方ない。だって、修行していないのだから。やってるだけで作れる人たちではないのだから。というのが現状だとしても、では編成はどうだ? 制作内でのスタッフの歩む道筋とは別に、局員としての歩む道筋はどうなのだろうか? そんな話です。